山手線「新型車両」は、なぜいま必要だったか

東洋経済オンライン2015.12.16より)
山手線「新型車両」は、なぜいま必要だったか
車両製造の都合など4つの理由から推察!
梅原淳:鉄道ジャーナリスト

 JR東日本の山手線は不思議な路線である。莫大な旅客運輸収入を計上し、営業利益も相当あることは間違いないにもかかわらず、表面的には割合つつましやかな路線、言い換えれば「ケチくさい」路線であるからだ。
 同社によると、山手線の正式な区間である品川-新宿-田端間20.6kmで2014年度に得られた旅客運輸収入は1053億5100万円であったという。1km当たりの旅客運輸収入を求めると51億1412万6000円となり、同年度に1兆0696億円の旅客運輸収入を上げた東海道新幹線の1km当たり19億3557万7000円をも上回る高収益路線であると言える。
 山手線が表面的にはつつましやかな路線に見えるのは、電車に乗って一周すればすぐにわかる。完成時期が古いのでやむを得ないかもしれないが、それにしても各駅のプラットホームは狭くて暗い。ラッシュ時以外であっても、電車が到着するたびに階段やエスカレーターには人があふれて閉口する。

新型車登場にまつわる「不可解」
 関係者各位や利用者各位が気を悪くされないよう、山手線で施された改良点も挙げておこう。筆者は34年前から山手線を主に通勤、通学の足として使用してきた。当時に比べれば現在の山手線は全く別の路線だと言ってよい。
 まず、朝のラッシュ時でもプラットホームへとすんなり入っていけるようになった。当時は「階段規制」と言って、改札口を入った後、プラットホームが空くまで階段の下で待たされたものだ。それから、線路の状態は非常に良くなった。かつては代々木-新宿間では恐ろしいほど電車が揺れたものだし、新大久保-高田馬場間では電圧が低すぎて電車がなかなか加速しなかったのである。
 しかしながら、今日の山手線では何とも不可解な事態が起きている。E235系電車という新車の投入劇だ。
 2015年11月30日の夕刻に外回りの電車としてデビューを果たしたE235系はINTEROS(INtegrated Train control/communication networks for Evolvable Railway Operation System)と呼ばれる次世代車両制御システムの不調により、ホームドアが開かないといったトラブルを繰り返し、大塚駅で運転台のモニター装置に多数のエラーを表示した挙げ句、ブレーキの利きが甘くなってしまった。結局、営業運転は打ち切られた。
 INTEROSのトラブルの原因はソフトウェアのバグとも言われているが、まだ明らかにされていない。12月14日現在、E235系は営業に就いていないので、ソフト面というよりも機器面でのトラブルとも考えられる。耐ノイズ性向上のためにINTEROS用イーサネット回線と直流100Vの電車制御用回路とを極力分離するとされているものの、連結面などではやむなく近づけた場所があり、そうした場所で誤った信号が発生したのかもしれない。
 「設計ミスや誤った信号などあり得ない」という意見もわかるが、このような事例は過去にも起きている。1974年11月12日、東海道新幹線新大阪駅に設置されたATC(自動列車制御装置)は駅に停止しようと進入する列車に対して時速210kmというあり得ない信号を表示するトラブルが発生した。原因はATC装置パイロット電源の自動電圧調整器の内部回路にフィードバック回路という、鉄道信号には組み込んではならない回路が構成されていたからである。
 という次第で、もしもINTEROSの機器面に不具合があるとすれば、営業の再開にはもう少し時間がかかりそうだ。

寿命ではない車両を置き換えるワケ
 E235系が山手線に投入されたそもそもの経緯もわかりづらい。
 JR東日本は「この量産先行車(筆者注、今回投入されたE235系)を『東京の顔』である山手線に導入し、次期通勤型車両の標準として今後の展開の第一歩と位置付けています。」(水谷恵介、「E235系一般形直流電車量産先行車の概要」、「Rollingstock & machinery」2015年7月号、日本鉄道車両機械技術協会、18ページ)と説明する。
 前後の文脈から、「INTEROSという画期的な車両制御システムの開発に成功したので、東京一の通勤路線の山手線用の電車に搭載して投入することとした」という意味らしい。
 現在山手線で使用されているE231系500番台は2002年1月から2005年4月にかけて11両編成単位で投入されており、製造からの経過年数は最も古い編成で14年、最も新しい編成で12年となる。半導体を搭載した電気機器などはそろそろ更新の時期を迎えるものの、車両自体は寿命ではない。

 JR東日本に限らず、鉄道会社の多くは近々寿命を迎える車両に対して最小限の投資しか行わない傾向がある。日常的な検査はもちろんおざなりにはしないものの、法定検査のうち、在来線の電車では8年に1回実施される全般検査の際、車体に生じた凹みをパテで埋めるといった作業を極力省く。だが、E231系500番台の場合は車体の傷はきれいに補修されている。
 それどころか、山手線の各駅で導入が決定したホームドアに備え、2010年2月からはTASC(Train Automatic Stop Control system)と呼ばれる定位置停止装置やホームドア車上装置を取り付け、浜松町-西日暮里間で京浜東北線の電車が山手線の線路に乗り入れるケースも想定して2両の6扉車の取り替えも実施された。
 これだけ大規模な投資を実施してから10年も使用しないうちに置き換えというのはJR東日本が太っ腹であるか、ほかに考えがあるからであろう。
 どうやら後者と推察される事情を説明すると、E235系の投入で山手線から撤退したE231系500番台1編成は解体されず、中央・総武線緩行に移動している。移動したE231系500番台の写真を見るとTASCやホームドア車上装置は取り付けられたままだ。中央・総武線緩行の各駅のホームドアの設置計画は発表されてはいないけれども(新小岩駅への設置計画は総武線快速用)、近々使用を開始するのであればE231系500番台への投資は無駄にはならない。

ホームドア対応には時期外れ
 E231系500番台の活用方法はわかったが、根本的な疑問は未解決のままだ。JR東日本の資料によると、E235系の導入は2010年には決定していたらしい。「JR EAST Technical Review No.33 - Autumn 2010」に掲載された「ホームドア導入に向けた研究開発」(齋藤修、小山田美和、志摩修治)の37ページにある図を見ると、「E233、235系停車時車両ドア位置にも対応している」と記されているからである。
 ちなみにこの図とは、浜松町-西日暮里間の西日暮里寄りで先頭車の一番前の両引戸向けのホームドアについて説明したものだ。E231系500番台京浜東北線E233系電車とを比べると、運転士後方のクラッシャブルゾーンの有無によって運転室すぐ後ろの両引戸の位置が異なる。クラッシャブルゾーンのないE231系500番台の両引戸とクラッシャブルゾーン付きのE233系の両引戸とは約1.4mずれており、ホームドアの開口部は双方の車両に対応して他の場所よりも0.9m広い2.9mとなっているのだ。
 開口部2.9mのホームドアは実際に設置されたものの、やはりJR東日本としては他のホームドアの開口部と同様の寸法にそろえたかったのかもしれない。そのためにはE231系500番台には早々にお引き取り願いたい。というよりも、E231系500番台TASCやホームドア車上装置を取り付けたり、ホームドアの開口部の寸法を変えたりといった手間や費用をかけるくらいならば、恵比寿駅で山手線初のホームドアが使用開始となった2010年6月に間に合うようにE235系を投入すべきであった。
 したがって、いまごろになってE235系を投入するくらいならば、E231系500番台が寿命を迎えるであろう2020年代前半まで待ったほうがよさそうだ。新鮮味はないものの、利用者から見て別段不具合は感じられない。まさか「山手線はつつましやか」という声に配慮したのであろうか。
 E235系が2015年のいま山手線に投入される理由をJR東日本に聞いても、当然のことながら引用した「R&m」誌のような答えしか返ってこない。そこで筆者は次の4つの理由を推察してみた。

今つくるしか時期がなかった?
1)総合車両製作所の都合
 E235系に限らず、首都圏を走るJR東日本の一般形、通勤形と呼ばれる電車の大多数は、同社の子会社である総合車両製作所の新津事業所(2014年3月31日まではJR東日本新津車両製作所)でつくられる。2010年にE235系へと完全に置き換えるためには少なくとも2008年ごろから準備をしなければならない。当時、同事業所は京浜東北線向けのE233系、それが終われば京葉線向けの同じくE233系を製造しており、年間に250両の製造能力をフル稼働させて両路線へと電車を送り出していた。
 新津事業所はその後も横浜線向け、南武線向けとE233系を製造し、なかなかE235系の番にはならない。やっと順番が回ってきたと思ったら、時はすでに2015年で山手線にとっては何とも中途半端な時期となってしまった。
 だからといってE235系の製造を遅らせることはできない。ほかにつくる電車がなければ同事業所は暇を持て余してしまうし、それに2018年ごろからつくろうかと高をくくっていると、今度は横須賀・総武快速用などの電車を置き換えるための電車の製造で忙しくなってしまう。要するにいまつくるほかないのである。
2)人手不足対策
 登場当初のE235系の車内で最も目立ったのは、中吊りと側天井の紙広告を廃止した点だ。E231系500番台に設置されている両引戸上の17インチ車内表示器に加えて21.5インチの車内表示器を設け、先頭車以外の中間車では36面の表示が可能となった。
 設置の理由についてはなぜかあまり触れられていない。JR東日本によれば、毎週のように紙広告を変える作業担当者がこのところの人手不足で確保できないので、その対策なのだという。山手線のように、だれもが広告を出したいと考えるような路線で紙広告が満足に掲示できなくなっては一大事だ。JR東日本としては広告主のためにと最善を尽くしたのであろう。
 結局のところ、広告主は従来の紙広告を支持したため、車内表示器だけに頼る広告掲示方式は見直しとなった。紙のほうが見やすいという理由のほか、21.5インチの車内表示器の位置があまりよいとは言えない点も挙げられる。この車内表示器はなぜか荷棚のすぐ上にあり、荷棚に荷物を置かれたら表示が見えなくなるからだ。
3)踏切事故対策
 京浜東北線E233系についての説明で挙げた運転士後方のクラッシャブルゾーンとは、踏切事故によって先頭車が強い衝撃を受けた際に備えたものだ。この部分が積極的に変形することで衝突時に運転士や旅客の生存空間を確保し、衝撃そのもののショックも和らげる役割を果たす。
 先述の説明のとおり、E231系500番台にはクラッシャブルゾーンは設けられていない。ならば山手線では踏切事故の事故の可能性は皆無かというとそれは違う。駒込-田端間には環状運転を行う山手線ただ一つの踏切、第二中里踏切があり、自動車も通行する。
 JR東日本としては安全を考えて、山手線のE231系500番台をできる限り早く置き換えたいと考えたのであろうか。ちなみに、転用されたE231系500番台が走る中央・総武線緩行三鷹-千葉間に踏切は存在しない。
導入は「大人の事情」だった?
4)次世代ステンレス車両「sustina」のPR用
 総合車両製作所はステンレス鋼でつくられた車両の新たな製造方法である「sustina」を開発し、その量産第一号としてE235系が選ばれた。sustinaは車体の軽量化、外観の向上、構体水密化の強化の3つ目標の実現を目指したという。これらはステンレス鋼製の車両がアルミニウム合金製の車両に比べて劣っていた点である。
 JR東日本は、総合車両製作所がいわゆる世界のビッグスリーと肩を並べるほどの世界的な鉄道車両メーカーへと育てたいという意向をもつ。ビッグスリーの一つ、ボンバルディア・トランスポーテーション高速鉄道用の車両にもステンレス鋼製の車体を採用している。この分野で総合車両製作所ボンバルディア・トランスポーテーションに追い付けば、高速鉄道用の車両の受注も見込めるかもしれないと考えるのは自然の成り行きだ。
 となると、JR東日本としては何としても海外の鉄道関係者にsustinaを体験してもらう必要がある。そのとき、sustinaの量産第一号が東京の都心から遠く離れた場所を走っていたらいかがであろうか。山手線はこれ以上ないPR場所であると言える。
 以上の4つの仮定を立ててみたものの、山手線の利用者に恩恵がありそうな点は踏切事故対策くらいしかない。E235系はどちらかというと「大人の事情」で山手線に投入された電車だと筆者は考える。
 しかし、経緯はどうあれ、せっかく登場したのだから、利用者に喜ばれる電車を目指すべきだ。何はともあれ、いまはINTEROSの不調を解決しなければならない。