週刊「日本の考古学」

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週刊でお送りする、日本の考古学。先土器時代から中世まで。
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古墳時代の社会と文化
(1)集落と豪族居館
弥生時代との集落の違い
 全国に見られた弥生時代の環濠集落が無くなる。政治的統合への戦争時代の終わり。
  吉野ヶ里遺跡佐賀県)も3世紀前半には埋まっていた。
 弥生時代には集落の中にいた支配者が集落を出て館(豪族居館)に居住する。
  三ツ寺Ⅰ遺跡(群馬県群馬町)小規模環濠と柵。
  (古典的な支配者と新しいムラの人々)
 民衆の例。火山灰に埋もれたムラ。黒峯遺跡(群馬県子持村)房戸(単婚家族)と郷戸(大家族)

(2)人々の精神生活
・自然物をカミと崇めた
 コニーデ形の美しい山。三輪山奈良県桜井市)拝殿はあるが本殿は山全体。
 沖ノ島長崎県)美しい無人島に銅鏡・鉄具・豪華な祭祀遺物。現在でも沖津宮
・宝物
 鏡、剣、玉を奉献→次第に大量の模造品(4世紀から5世紀)石、土器、鉄、木と形式化
・カミを祀る者
 島の山古墳(奈良県川西町)前方部の粘土槨・割竹形木棺から大量の腕輪形石製品。弥生時代の南方産貝の名残。
  男性は鍬形石、女性は石釧、子供は車輪石。男性には右手に子供の頃から鍬形石。後円部には男性の政治首長者、前方には司祭者。
水田稲作農耕の共同体の首長として水を祀る
 囲形埴輪(八尾市・三重県松坂市 宝塚1号墳)から導水祭祀。
 南郷?遺跡()導水槽と木菅。酒船石遺跡(奈良県明日香村)亀形石槽
(3)産業と新しい文化の波
・乗馬の風習
 5世紀になると一斉に馬具の副葬。騎馬民族征服説。
 合掌形石室(長野県大室古墳群)馬の生産
 鉄資源に依存していた朝鮮半島高句麗南下に巻き込まれ乗馬や文化が流入
・他の朝鮮半島文化の流入
 須恵器の生産。
  初期は朝鮮半島東南部加耶の工人により陶質土器が伝わる。第2期では朝鮮半島西南部全羅南道地域に近くなる。
  弥生土器の系譜の土師器と併用される。
 有銘刀剣(埼玉県行田市 稲荷山鉄剣・熊本県江田船山古墳 江田船山刀)漢字の音で名前や地名表記
 横穴式石室(佐賀県浜玉町谷口古墳・福岡市鋤崎古墳)の日本最古。朝鮮半島南部より早く独創的。
・文化の選択的受容
 中国文明圏の周辺ながら海峡に囲まれていたため。
 倭国の招きや朝鮮半島動乱を逃れた渡来人を受け入れ文化を咀嚼する能力を既に持っていた。
 7世紀後半からの律令国家と古典文化成立へ、文化や技術の取り入れた
以上。