子の権現遺跡
←最新版は検索「わたしたちの国分寺」して下さい−
身近な事から国分寺市の歴史をひも解いてく、身近な事から旧石器まで。
−−
子の権現遺跡
「まぼろしの第一発見者!」星野亮勝氏の話 ●「熊ノ郷遺跡」というのは、ボクが見つけたんだが… …以前は、子の権現さまへ行くのに細い道しかなくてネエ。新しい道を造るために削ったところが赤土になっていて… …何かの用があって役場に行って、その帰りに偶然気がついたんだが、切り通しの崖に石がずうっと横に一列に並んでるんですよ。石の上も下も赤土の層で、人の手が全然加わっていないことがわかるんです。 その中に、石が赤土にくるまっているのが見えたので、まわりの土をおしのけて見たら、黒曜石が出て来たんです。 「うゎー不思議だ!」「縄文と違う、おかしい!」と思って、甲野勇さんに見せたら、「ああそうかね」ということで終わってしまって。 そのころは、先土器なんて話は出てこなかったですからネ。”まぼろしの発見者!”とか言われましたが… ●この発見は、なんと岩宿遺跡発見の一年前だったのです。この事について甲野氏は著書「武蔵野を掘る」で「『調べてみましょう』と約束したまま忘れてしまった。後に岩宿遺跡発見で赤土中に縄文文化以前の遺跡があることが明らかにされた。私はとんだミスをしでかしたわけである。最初の発見者の星野氏には何とも申し訳ないことをした」と述べている。
まさしく星野亮勝氏(国分寺住職で、最後の国分寺町長=初代国分寺市長。現国分寺市長はお孫さん)は、日本での旧石器遺跡のまぼろしの第一発見者だったのです。